2012年09月26日
訃報です
掲題の件について、各種連絡網および新聞訃報欄などでご承知のことかとは思いますが、ご存知で
ないかたも多いようなので、この場をお借りしてお知らせします。
さる18日に”ゲンソン”こと元村俊則君(川副中学→西高 3年6組)が病を得て永眠なさいました。
享年50(満49歳)。検査のため一時入院していた岡山の病院での急逝でした。5月はじめに医師から
病名の宣告をうけ、東京で一ヶ月強の入院。その後関東の自宅を引き払い約30年ぶりに実家でご両親の
サポートの元療養生活に入ったのですが、病状の進行思いの外早く、無念の結果となってしまいました。
ここでは詳細は書けませんが、罹患したのは簡単に考えられる病気ではなく、事前に知らされていた我々
も最初聞かされた時にはショック、いや大ショックをうけたのですが、本人は、もちろん最初は打ちのめされ
絶望もしたでしょうが、いち早く立ち直り前向きに明るく治療のことを考えて頑張っていました。それだけに
今回のことは残念でなりません。
私ごとながら、彼との出会いは川中・野球部の新人顔合わせの時でした。おたがいにまだ12歳。ですから
彼とのつきあいは、40年近くになるわけです。ついこないだまで一緒に酒のんで騒いでいた友達
(お互いに、この年で独り身なので、いまだによくつるんで遊んでました。笑)が、今はいない、という事実
がいまだに受け止められずにいます。
ゲンソンの意向により、闘病ののことをはあまり知らせないでくれ、とのことでしたし(他人に迷惑、心配をかける
ことを嫌うヤツでした)、何せ急なご逝去でしたので、情報の伝達が行き届かず、彼の死を、私のこの駄文で知った、
という方もいらっしゃる、と思います。彼の闘病を比較的近くで(私自身は東京におりましたので、精神的に
近くに、ということですが)見てきたものとして、その点深くお詫びします。通夜の席で2ヶ月ぶりに対面したゲンソン、
思ったほど面窶れしてず穏やかに眠っておられましたし、遺影のお写真も彼らしいとってもいい笑顔だったこと
だけご報告させていただきます。
長文、駄文失礼しました。
三木愼二(3-4)
ないかたも多いようなので、この場をお借りしてお知らせします。
さる18日に”ゲンソン”こと元村俊則君(川副中学→西高 3年6組)が病を得て永眠なさいました。
享年50(満49歳)。検査のため一時入院していた岡山の病院での急逝でした。5月はじめに医師から
病名の宣告をうけ、東京で一ヶ月強の入院。その後関東の自宅を引き払い約30年ぶりに実家でご両親の
サポートの元療養生活に入ったのですが、病状の進行思いの外早く、無念の結果となってしまいました。
ここでは詳細は書けませんが、罹患したのは簡単に考えられる病気ではなく、事前に知らされていた我々
も最初聞かされた時にはショック、いや大ショックをうけたのですが、本人は、もちろん最初は打ちのめされ
絶望もしたでしょうが、いち早く立ち直り前向きに明るく治療のことを考えて頑張っていました。それだけに
今回のことは残念でなりません。
私ごとながら、彼との出会いは川中・野球部の新人顔合わせの時でした。おたがいにまだ12歳。ですから
彼とのつきあいは、40年近くになるわけです。ついこないだまで一緒に酒のんで騒いでいた友達
(お互いに、この年で独り身なので、いまだによくつるんで遊んでました。笑)が、今はいない、という事実
がいまだに受け止められずにいます。
ゲンソンの意向により、闘病ののことをはあまり知らせないでくれ、とのことでしたし(他人に迷惑、心配をかける
ことを嫌うヤツでした)、何せ急なご逝去でしたので、情報の伝達が行き届かず、彼の死を、私のこの駄文で知った、
という方もいらっしゃる、と思います。彼の闘病を比較的近くで(私自身は東京におりましたので、精神的に
近くに、ということですが)見てきたものとして、その点深くお詫びします。通夜の席で2ヶ月ぶりに対面したゲンソン、
思ったほど面窶れしてず穏やかに眠っておられましたし、遺影のお写真も彼らしいとってもいい笑顔だったこと
だけご報告させていただきます。
長文、駄文失礼しました。
三木愼二(3-4)